お通夜のおつとめがありました。
Aさんは、亡くなられる1時間ほど前にリモートで映し出されたお孫さんの顔をみて名前をよばれたそうです。お孫さんがそのことを覚えてくれていたらいいなあとお話を聞いて思いました。
親鸞聖人はなもあみだぶつのお念仏を、仏さまの喚び声と受け止めておられました。悩みも苦労も多い人生を皆が生きています。
その私をめがけて喚ぶ声であると。
知らない街を歩いている時に、私の名を喚ぶ人に出会えたらどんなに安堵することか。その感覚に近いのかもしれません。
名という漢字には、夕方に口をあけて喚ぶという意味があるそうです。それに号がつくと、名号=なもあみだぶつですが、もともと号は號を略した漢字だそうです。虎のように大きな声で私に向かって喚びかけつづけてくださっているということになります。
私のことを心配し、大切に思い、名を呼んでくれる人を、そして仏様との出会いを胸に刻んでいくことは別れという悲しみに向き合う糧になるのではないでしょうか。
そんなことを感じさせられた今年最初のお通夜のおつとめでした。