「やれなかった、やらなかった、どっちかな」(相田みつを)
ある仏教関係の本を読んでいたら、この詩のことを知りました。
コロナ禍の中で過ごしてきたこの1年、どうだったかなあと振り返って見ると、やれなかったことも、そしてやらなかったこともあると考えさせられました。
ただ、私の場合は、「やらなかった」と感じるためにも、本来、やれることがもっとあるはず、と言う情報、知恵をインプットしなければならないと思います。
今日の午前中に、因幡組(そ)の組(そ)長さんのお寺・養源寺さんに用事があって伺いました。さまざまな実践を重ねてこられている住職さんです。今日、話を聞いて、「なるほど」と思ったことがありました。本堂の灯明(ろうそく)はLEDで24時間、スイッチが入れられていること、そして本堂入口の引戸のガラスが透明のタイプになっていて、外から灯明に照らされる阿弥陀さんが拝めるようになっていることです。うちは半透明ですから、外から中が見えません。
写真撮るのを忘れた!!!
あっ、これはいいなあと勉強になりました。
各地のお寺の良いところを吸収させて頂いて、真似るところは真似をしていかないともったいないです。
そんな風に進んでいければ、「やれなかった、やらなかった」と言う問いを前向きに捉えることができるのかなと思った次第です。