
堤防に高波が押し寄せているのがわかるでしょうか。晴れですが強い風が吹いています。ここにくると自然の素晴らしさときびしさの両面に出会います。
さきほど網代での納骨のお勤めが終わりました。納骨は一つの区切りです。
「悲しいばっかりだといけないのですが」とご遺族の方がおっしゃいました。
悲しいというのは、忘れがたいつながりがあるから。人間としてのあかしではないのかなと思います。
そして、この墓地というところは、深い悲しみを抱えつつも、懸命に生きている人たちが、いのちについて思いをはせる場であるのではないでしょうか。
「その悲しみが生きる力になるといいですね」とこころのなかで呟いて墓地を後にしました。
南無阿弥陀仏