『捨てられる宗教』

宗教学者の島田裕巳氏の本を読みました。

葬儀のあり方は社会のあり方に大きく左右されます。著者がいうように人生100年時代を迎えるいま、「いつ死ぬかわからない」という死生観が大きく変容しています。そうなると、「来世に期待をかけ、現世において信仰生活をまっとうしようということにはならなくなる」「宗教への期待は薄れる」としています。

では、彼は生き死にの問題にどのように向き合っていくことを提案しているのか?

テレビ、犬を飼う、歌舞伎、芸術鑑賞などあげつつ、学び続けることがもっとも賢いとすすめています。

そして年を取ったら現実の社会と距離をおくことをよびかけています。「人間は最後、世俗の生活から身を引いて生きる必要がある。世の中を批判的に見ていけば、あらばかりが目立つ。それに一々反応していても、いつまで生きられるかわからないのだから、無駄で無益なことである」

「ただ生きている、やっかいな時代である」

島田さんは直葬や0葬についてたくさん著書を書かれています。世界の宗教の動きにも目を配っておられます。現状の分析としては「そうなんだ」と教えられること大ですが、果たして「人類は宗教を捨てようとしている」という指摘は妥当なのでしょうか。

「真正の宗教は自己の変換、生命の革新を求めるものである」。哲学者の西田幾多郎氏(1870-1945)はそのようにいいます(『善の研究』P181)。

私自身は、そうした宗教が、今後、復権する可能性も大いにあるのではと思います。

投稿者: 西法寺

西法寺のHPを管理している釈大朗です。よろしくお願いします。

“『捨てられる宗教』” への 1 件のフィードバック

  1. 病気や社会生活上での困難、自分の力の及ばない危機に直面したときに、宗教は人にそれでも生き抜く力をくれるのだと思います。

    それにしても「葬式なんてめんどくさい」って、本文に書いてあるのかもしれませんが、さみしい主張です。めんどくさいって…この著者になにかあったのでしょうか

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