習字教室で書いている『般若心経』もいよいよ終わり近く。天台宗の僧侶でもある先生のもとでなければ書く機会もなかったことと思います。貴重な時間でした。
さとりの智慧を得るための呪文としての「ぎやーていぎゃーてい…」の部分は、玄奘三蔵があえて訳さず、もとの音が残りました。『般若心経』といえばこの部分ですから、彼のねらいは大当たりだったわけです。

仏教にはさまざまな宗派がありますが、智慧と慈悲がその根本だと思います。
お釈迦さまは縁起・私が先にあるのではなく、無量ともいえるようなつながりのなかに私もまた存在している、という真理を発見されました。なんでも自己中心的に捉える私たちにその真理を説いて回られたのです。ですから、真実を見極め(智慧)、人を思いやる(慈悲)ことは仏教では一体です。
『般若心経』はそれを自らの修行によって完成させることをめざす自力の道です。それができない私のようなもののためにあるのが、智慧と慈悲を備えた阿弥陀仏による救い=浄土教の教え、ということになるのでしょう。
さて、次回以降は、なにを書いていきましょうか。先生は「なんでもいいですよ」というスタンスですから、『阿弥陀経』をお願いしてみようかな。