東日本大震災と原発事故を東京で体験し、さまざまな書籍を手に震災や原発事故についてどう考えたらいいのかと模索したことがあります。
月刊誌『世界』の別冊、『破局の後を生きる』。2012年、出張先の沖縄でたまたま書店に入ったら目に留まり、それから数日間、那覇市泊港近くの喫茶店で朝ごはんを食べつつ読みました。

被災者の手記を集め、識者が手記を読んだうえで短いテキストを寄せています。
尾木直樹さんの手記のこの部分を、私は何度も何度も読み返しました。
「つい最近、中国の上海で中学生に講義を行う機会をもちました。その時知ったのですが、『絆』という言葉は中国語にはないそうです。それに匹敵する言葉は『伴』だということです。被災地の悲しみに優しく寄り添い、ともに未来を歩むこと。それが私たちに一番必要な構えではないでしょうか」
絆とは、もともと牛や犬をつなぎとめる綱をさす言葉です。私はこの言葉にもともと違和感があったので、尾木さんのコメントに深くうなりました。
一方、伴という漢字をみると、半分の横に人が立っています。半人前の私、あなたの横には、誰かがいて励まし、支え合っている、それが伴の意味なのではないだろうか。そんな風にいまも思っているのです。
最近、絆をニュースで目にすることがありました。
おそらく新しい総理になるであろう菅さん。総裁選のスローガンは「自助・共助・公助、そして絆」です。まず最初に自助。さいごが絆。そこに、コロナをはじめとした苦難に優しく寄り添う姿勢を感じないのは、私だけなのでしょうか。