ぬくもりとして遺る

ちょうど今日がお亡くなりになってから四十九日めとなる方の満中陰法要と納骨法要がありました。

「ケガをして入院し、家にいないことはあったけど、帰ってこないということはこれまでなかったですから」と息子さんはおっしゃいました。

お盆参りや春に毎年おこなっている宅参りでは、仏間にちょこんと座り、手を合わせ、念仏する姿がありました。もうその時間を持つことができません。

亡き方は、この仏間で私に、「仏さんを大事にしないといけないと家族にいっているんです」と話されたことがあり、きょうはそのことばを思い出しながらお経を読みました。

亡くなるということは無になるということではなく、私たちにことばとして、ぬくもりとして遺っていくのではないか、と思うようになりました。みなさんはこのお盆に亡き方のことを思い出したり、墓前で話しかけられたりされたでしょうか。

日中のうだるような暑さが過ぎ去り、網代のお墓は涼やかな風が吹いていました。

「私に話してくださったことを忘れずにこころに留めて、これからもお勤めさせていただきます」。お墓の前でそう誓い、岩井に帰りました。

投稿者: 西法寺

西法寺のHPを管理している釈大朗です。よろしくお願いします。

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