八月十五日

「八月十五日の正午から午後1時まで、日本じゅうが、深閑として声をのんでる間に、歴史は巨大な頁を音もなくめくったのであった」

宮本百合子『播州平野』より。

終戦記念日の鐘をつきながら、この有名な一節をかみしめました。私自身は戦争を知らない世代ですが、終戦というよりも敗戦と言った方がより正確ではないかと思います。

この時代に命はどう扱われたのでしょうか。

軍人勅諭によれば鳥の羽より軽いとされた臣民の命。軍人の戦死者のうち半数は病気や餓死であったとの研究があります。戦争が長期化し、人口が増えないなか1939年に作られた結婚十訓には、「悪い遺伝のない人を選びませう」「産めよ殖やせよ国のため」などのことばが並びます。大正に生まれた男性の7人に一人は戦死しています。終戦当時の男性の平均寿命は23.9歳に過ぎませんでした。

先日、あるご家庭の法名を拝見したのですが、戦死者につけられた「忠」の一語が眼に飛び込んできました。国のために死ぬことを真宗もまた忠としてたたえたのです。恐ろしいことです。

戦後75年の終戦記念日。

これからも人の世が続く限り平和の鐘として鳴らし続けられますように。願うだけでなく、私もできることをやっていきます。

投稿者: 西法寺

西法寺のHPを管理している釈大朗です。よろしくお願いします。

“八月十五日” への 2 件のフィードバック

  1. 「1945年5月には西本願寺の大谷光照法主は、「皇国護持の消息」を発して「念仏の大行は千苦に耐え万難に克つ。国難何ぞ破砕せざることあらんや。遺弟今こそ金剛の信力を発揮して念仏の声高らかに各々その職域に挺身し、あくまで驕敵撃滅に突進すべきなり」といい、またその年の6月には大谷派の大谷光暢法主も「念仏もろともに大義につき皇国を死守すべし、われ自ら陣頭に立たん」といいました。
    「親鸞はどこにいるのか」信楽峻麿著

    オウム真理教の信者は、ほとんどが純粋で求道心の深い人たちであったと言います。信仰心は純粋であればあるほど、その先頭が道を誤ると大きな悲劇を生むのでしょう。宗教者は常に自分の立ち位置について敏感でなければならないと思います。

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