方便ということばがあります。ウソも方便というように、大抵の場合、独立した言葉として使われることは少ないような。
仏教において方便とは、真実に引き入れるためのたどるべき道(教え)のことをさす場合があります。
例えば、①いい行いを積めば、その分だけあの世で幸せになれる。
②何度も何度も何度も念仏を称えれば仏になれる。
それを信じるか信じないかはともかく、仏教とはそういうものじゃないのと思われるかもしれません。しかし、浄土真宗においては、それができない私のために、阿弥陀仏の方から救いとってゆく、それが仏のもっとも大きな願いであると味わい、自らを省みて生きていこうよ、というスタンスなのです。
親鸞聖人は幼少から青年期にかけて、①②の修行をされましたが、自らに仏になる種を見出せず、比叡の山を下り、法然さんのところで、阿弥陀仏の救いに出あい、1201年、29歳のときに帰依したと書に記されています。
聖人にとっては①も②も決して無駄ではなく、必要な道であったということでしょう。
ところで、最近、うがい薬が話題です。吉村大阪府知事は、「ウソのような本当の話」と。しかしうがい薬にはコロナに効くというのは根拠なしと各方面から指摘されています。
うがい薬は、仏教がいうところの方便、つまり真実につながってゆく道ではなかった。どうやら誤りのようです。
だいたい、ウソのような本当の話って、本当の話より、ウソだったという落ちになることが多いと思うのですが。