宗教を教えることについて

きょうは午前中、25回忌の法事でした。お参りの方も声を出して『阿弥陀経』を読まれました。クーラーもよく効いて、暑さを感じることもなく、夏のお勤めも熱中症の心配なくできそうです。

お盆について短い話をしました。『盂蘭盆経』には目連尊者のお母さん・青提女(しょうだいにょ)が餓鬼道に落ち、釈尊の力を借りて救うようすが記されています。

浄土真宗では盂蘭盆経は読みません。というのも阿弥陀仏は私たちを餓鬼道に落とさないために働き続けているからです。

しかし、私たちのありようはどうなのでしょうか。

貪(むさぼり)という煩悩に引きずられて、よろこびを失い、不足だけで生きている「いのち」を餓鬼といいます。そこに浸かって生きているのが偽らざる私の姿ではないかと。

そのように自らを見つめてみたときに、餓鬼道に落とさないぞと働き続ける仏の慈悲をありがたく感じられるのではないでしょうか。

といったことをお話ししました。

お参りになった方が、「今日のような話を学校で子どもたちが聞けたらいいでしょうなあ。日本は学校で宗教を教えたらいけんことになってるけど」と。

これは中央仏教学院の講義で知ったことですが、イギリス、ドイツ、トルコ、インドネシア、タイ、韓国の公立校に宗教科の授業があるそうです。(韓国は制度上はあっても、実際にはない)

トルコ、タイ、インドネシア、ドイツの多くの州では、それぞれの信仰に応じた講義形式だそうです。

イギリスでは、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、シーク教、ユダヤ教、そして仏教を学びます。小学校から中学校まで「宗教」は必修。大切にしているのは、相互理解ということです。また、いま宗教者は何をしているのか、から学ぶそうです。

イギリスのような宗教教育は、日本でも求められているのではないでしょうか。歴史の一コマとして創始者や出来事について教えるのが日本の宗教教育ですが、いかに生きるのか、そして世界の人たちを知る、という意味でも有益ではないかなと思います。

投稿者: 西法寺

西法寺のHPを管理している釈大朗です。よろしくお願いします。

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