鎌倉時代の女性

本願寺の月刊誌『大乗』の5月号に、興味をそそられる記事がありました。釈徹衆さんと筑波大学名誉教授の今井雅春さんの対談です。テーマは、親鸞聖人の妻・恵信尼です。鎌倉時代は、女性の社会的地位が高かった時代です。今井さんは恵信尼もそうであったことを指摘して、信仰においても、「親鸞聖人が上から教える、導くということではなく、恵信尼さまと共に生きたとみるべきではないか」とのべています。

恵信尼の祖父・三善為康は、「往生極楽は信心に在るべし。必ずしも出家に依るべからず」「その上で念仏をずっと称えていれば十人が十人、百人が百人、臨終の時には全員が漏れることなくすぐさま極楽往生できる」と答えるような人だったそうです。今井先生は、祖父、父、そして恵信尼へと三善家には念仏のあつい雰囲気があったのではないかと説明しています。

親鸞聖人と恵信尼は、法然聖人のもとで出会ったと推測されます。今井先生は、親鸞聖人は、恵信尼から最初は教えてもらっていたのではないかと。もちろん資料からそういえるということではありませんが、ありえるのではないかと。だから親鸞聖人は惹かれたのかもしれません。

長々と書きましたが、恵信尼は、優れた女性であったあったと思われる面とともに、経済的にも自立しており、独立した人格と力をもっていた鎌倉時代の女性であった、といえるのではと思います。

14世紀の室町時代から、それまでの夫が妻の家に通う「妻問婚」から妻が夫の家に入る「嫁取婚」が支配的になり、女性の地位は後退し、男性支配の歴史がそこから始まったとの説が有力です。戦国武将の結婚形態を見ればよくわかりますよね。

明治時代の教育勅語には、「夫婦相和シ」とありますが、その解説書には「妻はもともと智識才量多くは夫に及ばざる」とあります。明治時代や戦前を懐かしむ方がいらっしゃいますが、どうなんでしょうか。

ちなみに、ヨーロッパでは、紀元前から男性支配の歴史ですが、日本ではそれよりもはるかに遅れて男性支配の歴史がはじまったわけです。こんなのは短いことに越したことはありません。

いま法のもとでは平等ですが、そうではない現実も多々あります。そうしたなかでジェンダー平等(性差の差別のない)社会をめざす多様なとりくみが進んでいます。なかなかの大きな課題ですが、差別や分断を許さないことは仏教の大切な精神でもあります。

釈さん、そして今井先生の対談からはだいぶ離れましたが、対談を読み、ここに立派な先輩がいるではないか、と思った次第です。

投稿者: 西法寺

西法寺のHPを管理している釈大朗です。よろしくお願いします。

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