ポーランド南部のアウシュビッツ収容所跡地で27日行われた解放75周年記念式典で、生存者として証言を行った歴史家のマリアン・トゥルスキ氏のスピーチを読みました。同収容所ではナチスが110万人ものユダヤ人を虐殺しました。
Marian Turski(マリアン・トゥルスキ)氏のスピーチ – アウシュヴィッツ解放75周年式典より
「歴史に関わる嘘を見た時、無関心にならないでください。過去が現在の政治の材料へと曲げられている時、無関心にならないでください。少数派が差別されている時、無関心にならないでください。民主主義の本質は多数派が支配することですが、民主主義とは同時に少数派の権利が守られていなければならないということです。権力が既に存在する社会契約を侵そうとする時、無関心にならないでください。この戒めを守ってください。11番目の戒めです。「無関心であってはなりません」
「もし無関心であるならば、私たちの上に、私たちの子供の上にアウシュヴィッツが急に降ってくることに気が付きもしないでしょう」
十戒に「無関心であってはならない」を加えるべきとスピーチを結んだトゥルスキ氏。彼の指摘は、そのまま今の日本社会にも当てはまることだと思います。
「戦争や原発事故が起こって初めて罪が発生するわけではない。戦争前、事故前の“平和な時代”に、その平和を損なうかもしれないことにたいして何もしないこと、無関心でいることは罪を犯しつつあることなのです」
臨済宗妙心寺派の河野太通老師のお言葉。
「無慙愧は名づけて人とせず」アジャセ王にギバ大臣が諭した言葉。
つねに慚愧して我が身を振り返りたいと思いました。
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