きれいごとにドキッ

坊守です。

職場の集団づくりにかかわる講演を昨日、聴いてきました。

大勢の集団になればなるほど、まとまるのがたいへんになるけれど、リーダーがいちばんにやるべきことは、その集団の関係づくり。そこがうまくいくと、おのずと良い仕事ができるようになる。
「ここは、なにを言っても大丈夫な場」だと、メンバーの安心をつくるために、リーダーは自分の弱みや悩みを率直に出す(自己開示)と良い。
人間は多面的な存在だから、ひとりひとりの話を聴こう。人間の口は1つだけど耳は2つついているのだから…

などなど、チームづくりのヒントがたくさんありました。

そして、あっ!
とおもったのは「理念」をどう受け止めるか、という話。
理念とは、たとえば、わたしの職場の理念のひとつは「無差別・平等の医療介護」をめざすことですが…講師は理念を「きれいごと」と表現されたのです。一瞬ヒヤッとしました。
でも、現実と照らせば、本来はどんな人にも等しくあるべき医療や介護は、経済力や居住地域、人脈などで大きく差が生じてしまっている。
その「きれいごと」があるからこそ、現実に慣れ、あきらめてしまわずに、自己や組織の姿勢や在り方を問い続けることができるんだ、ということでした。

あっ!とおもったのは、これは仏教の教えへの向き合い方にも共通するものがある、と思ったからです。
ウチの住職、しばしばこのブログで、
阿弥陀さんにみまもられ、必ず救うぞ、と呼びかけてもらっているしあわせを、他者にも向けていきませう、
といった真面目な締めコメをしますがこれは、優等生ぶっているわけではなく、仏法のめざすものと現実のギャップはあるけど、あきらめない、という姿勢を表明していたわけです。

わたしも「きれいごと」にこだわっていこうと思います

投稿者: 西法寺

西法寺のHPを管理している釈大朗です。よろしくお願いします。

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