阪神大震災から25年目の1月17日です。当時、京都に住んでいましたが、下宿が激しく揺れ、みんな共用の廊下に出て無事をたしかめあったことを思い出します。
直後から何かできないかと友人たちと募金を集め、買えるだけ、持てるだけの物資をもって1月20日に仲間とともに神戸に向かいました。大阪から西には行けず、北から回って神戸市内に入りました。2月には寒い避難所に寸胴鍋一杯にシチューを作ってもっていきました。高速はあちこち倒壊し、通行可能な区間をパトカーが先導してくれました。見ず知らずの私たちに頭を下げる被災者の方たち。寒さで凍え、困っている方に温かい食事すら提供できないこの国は、果たして経済大国なのか、そんなことも感じました。
96年の夏には仮設住宅で住民の方から話をうかがったこともあります。仮設住宅で孤独死された方は1400人以上とみられます。
“私有財産の補償はしない”としていた政府の姿勢をくつがえし、神戸で被災された方たちが声を上げ、被災者支援の法律が作られたことも忘れてはならないことです。阪神・淡路は対象外とされましたが、こんにち住宅再建には最高300万円が支給されるようになりました。
震災から人とくらしを守る地域と社会へ。1月17日に誓いたいと思います。