坊守です。
この週末は、お寺のことはできず、東京に居ました。
職場(寺じゃない方。Wワークはややこしいですね)で担当している若手職員たちの学習プログラムのお世話オバさんをするのが目的です。
1年通じて、医療以前のコト(人権とか平和とか)を学ぶゼミを作っているのですが、今年の通年テーマは「貧困」。2019年は年越し派遣村があってから10年になる年でもありました。
で、机上の学習だけでなく、フィールドワークしよう、と路上生活者の支援をしている皆さんのもとに行ったわけです。
40キロの米を炊き、何十キロか分からない野菜を20人のボランティアさんとともに切り、都心の公園の炊き出しと衣類配り、生活相談を見学しました。

ほぼ1年ぶりの東京は、オリンピックを前に、ますます開発がすすんでいましたが、その陰で、見た目の悪い野宿者を排除する動きもあるそうです。公園のにも立ち入りさせないためのフェンスができていました。
一方で、おおっ!と思ったのは、炊き出しに協力していたのがお寺だったことです。大人数の調理をする場所と水光熱費を提供されていました。
ビル風の吹く寒い公園で、百数十人が衣類や食べ物を配る場所に行列するという鳥取にはない光景、医療相談に通っているボランティア医師の話、濃い2日間を若い医療従事者たちがどう受けとめたか?
…気になりますが、ここからは自分のアタマで考えて、動いてほしいと思います。
今朝、話をしてくれたドクターは、ガンジーのこんな言葉を紹介して話を終えました。
『あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。』