先日、あるお宅に法事でうかがった際、仏壇の隣の柱に、お孫さんの背の高さをマジックで書いたあとがありました。
年々大きくなっていく姿を書き込み、それが子どもさん、ご家族の喜びだったのだろうなあ、仏間はみんなが集まる場だったのだろうなあと思いながらしばらく眺めていました。身の丈を測ることが成長の証だったのでしょう。
ところが、「身の丈に合う」という言葉になると、使い方を間違えると上から押さえつける言葉になってしまいます。
萩生田文科相が、「身の丈にあった」という言葉を使ったことが問題になっています。
民間の英語の試験を2回受けることができ、その結果が大学入試試験に反映されるということですが、受験料は高いもので2万5千円、大都市が想定されている試験会場までの旅費・宿泊費などもかかります。導入予定は2020年度からです。
不安が広がる中で、責任者が「身の丈にあった」と文科相がいうのです。お金のない人はそれなりに、ということ以外に受け取りようがありません。
力を伸ばして人生を切り開いていきたいという若い人たちの願いを応援するのが、大人の役割では。
みなさんはこの発言、どのように思われましたか。
親御さんの生活が苦しくて、色んなコトを我慢をしている若い人たちがいます。
せめて教育の機会くらい国が保障すればいいのに、トップが「現状で我慢せよ。あきらめよ」と、子どもたちに言う。つめたいなあ、かなしいなあ。税金はこういうことに使ってほしいと思って納めています。
大臣には、現在のポストを降りて「身の丈」にあった役につかれることをおすすめしたいです
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