坊守です。
京都の中央仏教学院に来ました。週明けに大阪出張の予定だったところ「学びの友」(通信教育生向けのテキスト)に研修のお知らせが掲載され、「これは行けってコトやな」とめぐり合わせに身を委ねたわけです。

住職の入学式で来て以来、3年ぶりの学舎です。
90分の講義を3コマと法話、というのが1年生のメニューです。知識でなく生き方を考える3年にしたいと思います。
「仏教」の講義は90分で、釈尊の誕生から35歳で苦行の森を出るところまでくらいしか、たどり着かなかったけれど、シメの3分の話で学習開始のはな向けをいただいた、と思えました。
どんなことかというと、
これから3年間の学びで「知識がついたなあ」ではなく「人生変わったなぁ」と、なっていただきたい。
【智慧】は「如実智」「無分別智」とも言い、自分のフィルターを通して物事をみる分別を変えることです。
たとえばいま、日本政府は韓国を悪いようにいいますが、韓国から見れば日本は悪い。
本当にだいじなことは、これを突破して、世界的な視点を持つことではないでしょうか。
私たちは死ぬまで愚かさを抱えていきますが、これを仏教の真理に引っ張り上げられながら、本当の豊かさや幸せとはを考え、努力しながら生きていくことが大事です。
勉強が終わったら、京都駅で旧知の方々が待ってくれておりました。やっぱり私が坊守、という事実を笑っておられましたが(私の来し方は変えられませんから、仕方ありません)、再会が嬉しかったです。励ましていただきました。
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智慧の光明はかりなし! 南無阿弥陀仏、合掌!
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