法事では、読経とともに僧侶が仏教の教えをお参りの方にお話する法話の時間があります。約10分ほどの短い時間ですが、何を伝えればよいのか悩むことがしばしばです。真宗では法話のことをお取り次ぎといって、阿弥陀如来の教えを味わうということに主眼があります。目下、私が一番悩み、緊張するのは1周忌です。
1年はあっという間です。とりわけ、予期しなかった別れを体験された方にとって、悲しい、淋しい気持ちが再び沸き起こってくるのが1周忌であると思います。
昨日の1周忌。その前日から本やお経を読んだりするものの、なかなか浮かんできません。それは、悲しみを想像すると、私の言葉などではとてもとてもという気持ちがあるからです。
結局、何をお話ししたかというと、親鸞聖人が書かれた正信偈というお経のなかで、私自身がいちばんこころを揺さぶられる一文についてです。
大悲無倦常照我
だいひむけんじょうしょうが
仏様は、私たちの抱える悲しみに寄り添って、その悲しみを取り除こうと、あきることなく、常に私を照らしてくださる。
もとは平安時代に生きた源信僧都の言葉です。
正信偈を読んでいて、ここにくるとハッとすることがあります。頑張れよっていう励ましを受けているような気がするからです。
亡き人は、仏様のところにいかれて、私たちを照らし、励まし続ける存在になられたと受け取ることができたら。亡き人に、淋しいけれど、でもありがとうと感謝することができたら。大悲をほのかにでも感じることができるなら、私たちの生き様もまた変わっていくのではないか。
そのようなことをお伝えさせていただきました。