今日は葬儀がありました。暑い一日でクーラーのない本堂での最後のお勤めはお茶で水分、飴で塩分を補給していただいてからはじめました。
葬儀では、手作りの経本を手にとっていただくようにしています。読み上げる内容は、ルビ付で全て記載してあります。それは、ぜひいっしょに声を出して欲しいからです。今日はお参りの中学生の方が途中から若い声でいっしょに読んでくれ、頼もしく感じながらのお勤めでした。
年配のお参りの方のなかには、節回しが難しい念仏や和讃(親鸞聖人がつくった詩文)もいっしょに唱和してくださる方もいらっしゃいました。
お経は僧侶のためにあるのではなく、みんなで読むためにあるということを教えていただいた葬儀でした。
葬儀は悲しみをともにする時間であるとともに、亡き方への感謝を胸に刻む時間であると思います。葬儀で声を出してお経をあげることは、悲しみと感謝を表明すること、そう私は受け取っています。
葬儀は少ない方がいいのですが、そうもいきません。なるべくみんなでお念仏する、お経を読む、そうなるように改善、工夫を続けたいと思います。